僕の記憶は、装飾をあしらい、繊細に切り分け、外装をしっかりと描けば描くほど、過去は区切りを失い、美しいはずの情景に虚言癖が引っ付いて、混沌と重なった色彩は結局、灰色一色に染まってしまう。

もしかすると僕の記憶はあの魚と一緒に何処か遠くへ去っていったのかも知れない。

僕は記憶を無垢な存在として君臨させたが、同時に、蠱惑(こわく)を孕んだ僕の干渉なのでは決して届かない世界へと逃してしまったのではないだろうか?

そして記憶は、この足掻き、この焦燥を、侮蔑を持って見下しているのではないだろうか?

ゆっくりと広がって、急速に縮まっていく世界を感じだした僕は、腐り果てて消失していく時間の波に、自分自身を形成していたあらゆるものが静かに飲み込まれていくのを目の当たりにした。

見開かれた眼にしっかりと映し出された時の潮流は、未来から過去へと消えて行き、過去へと進んだ時の潮流は二度と戻っては来なかった。

跡として残されたのは剥製としての僕だけだ。
私は地面に敷かれた衣服の上をたどたどしく歩きながら、胸元から「へそ」の辺りまである服のボタンを開き皺くちゃのパジャマを脱ぐと、次にこちらも皺だらけのズボンを下ろして足先で適当な場所に放りました。椅子の背もたれにダラしなくかかった紺色の仕事着を、スカート、Yシャツ、ジャケットという順に着ます。ついでに落ちていたストッキングを拾って、部屋の扉を開けてリビングに出ると、小型テレビのボタンを押して洗面所へと足を進めました。通りかかりのソファーの上にストッキングを置きます。TVからは早朝の朝に見合った声色で見たことも無い誰かが決めた運勢を星座ごとに紹介していました。私は洗面台の鏡の前であらぬ方向へ向いている自分の髪を水道の水で濡らしながら、自分の星座が聞こえてくるのを待ちました。別に占いというものを信じているわけではないですが、私にはこれといった生き方というのもありません。占いによる助言を試しながら生きる方が面白いのではと思っているからです。結果的に、そういうことを含め「占いを信じるてる」と言うのかも知れませんが。

今日の蠍座の結果は甲乙付け難い内容でした。恋愛運が他の星座より悪いというくらいで、あとは良くもなく悪くも無いといった感じでした。

TVからは今日の天気の予想が綺麗な声色で淡々と語られており、私は何の気なしにそれらを聞き流しながら、黙々と温かいトーストを齧っては、生温いコーヒーで食道に流すという毎朝恒例の単純作業を繰り返していました。別にコレといった出来事が無い朝に食べるトーストは、幾ら頬張った所で味は無く、コーヒーは根本的な何かを失ってしまったような味しかしません。でも私は味の無いトーストに合うコーヒーは、いつだって何かを欠いているコーヒーに限ると思いました。これが反対に、最高級の豆を正確に量りカッティングミルで挽いて正しい手順を踏み淹れたコーヒーだったとしたら、私は朝食にトーストを食べる事も、ましてコーヒーを飲むこともしないでしょう。私の朝食には、不味いトーストと不味いコーヒーこそが、丁度良いバランスを保つものなのだと思うからです。それこそ、太陽と地球が遠すぎず近すぎずの距離を保つように、トーストとコーヒーの味にもその朝に見合った距離感が必要なんだと思います。いつもと変わりない朝に大層な食事をする事なんて私には必要のない事です。

私はカップの底に一口分だけ残った不味いコーヒーを飲み干し、不味いトーストの乗っていた皿とコーヒーカップを台所に置きました。そして中年男性のニュースキャスターが映ったテレビの時計を見ました。テレビの左上に映る白文字の電子時計には8:20と書かれています。私はテレビの主電源を消し、ソファーに座ってストッキングを穿くと、玄関ドアの隣に置いてある等身大の鏡で自分の服装を確認してから玄関の扉を開きました。家の扉に鍵をかけ、10段ほどの階段を降りると、心地よい日の光が風に乗って私の肌を撫でました。優しい太陽の光に目を瞑り、少しだけその温もりを感じることにしました。すると目の裏で身動きせずに泳いでいる魚が、どこか心地よさそうな顔をしているように見えました。実際には、起きた時と変わり無い表情なのですが、私にはそう感じました。私は目を開けて、仕事場へと向かいました。
目の裏で魚が泳いでいるのです。



私は真っ白な天井を見ると、もう一度目を閉じてみました。しばらくは先ほど見た白い天井の絵がばっちりと見えていたのですが、時が経つにつれ、網膜の上に黒い埃がちらほらと這い出てきて、その黒いシミのような場所から魚の影が現れ出しました。そして全てが黒い埃に覆われると、私の眼の裏には何処かで見たような魚がゆっくりと泳いでいるのでした。

私はこの魚の名前をしりません。ただどこかで見たことのある魚だとしかわかりません。その魚は尾ひれやエラも動かさず、ただ目の裏の暗闇にジッとしているだけでした。私は瞼の奥にある瞳で魚の隅々を観察しました。ギザギザとした尾ひれ。ハサミのような鋭さを持つ上ビレ。呼吸の仕方を忘れたかのように静止するエラ。スーパーに並んでいる魚と同じ、どんよりとした瞳。異常に突き出した口。一つ一つがピンと立っていて、手で触れると指先が傷ついてしまいそうでしたが、同時に触れるだけで取れてしまいそうほど反り返った鱗。全てが刺々しく私の瞼を突き破って現実に飛び出してしまいそうな危なっかしい印象の魚です。そして、そんな魚が私の目の裏を泳いでいるのです。その身を微動だにせず、動くと言う行為を禁じられた世界にいるような振る舞いで、しっかりと「泳いでいる」のです。決して錯覚などではありません。その魚は身を動かさず、呼吸もせず、もしかしたら心臓をも動かさず、生き物としての死を迎えながらもしっかりと「泳いでいる」。それは凄く不思議な光景でした。

私はどこかで見たことのあるその魚を目を瞑りながら、いつ動き出してもいい様に監視し、頭の奥にあるモヤモヤの正体を探していました。どこかで見たことがあると思うのなら、きっと私はその魚を見たことがあるのでしょう。ただ幾ら頭の中を整理し、出来るだけ鮮明に記憶を並べてみても、その魚に関する記憶には黒い膜の様なモノがかかっていて、なかなか魚に関しての記憶は思い出せませんでした。むしろ、その膜を取り除こうとすればするほど、段々と他の記憶にまで黒い膜が覆いかぶさってきて、最後には記憶と言うもの事態が黒い膜の下に隠れてしまいます。何もかもを排除し、光すらもなくしてしまった世界みたいに真っ暗闇なのです。残されたのは目の裏に浮かぶ魚の姿だけでした。その魚が記憶の中にある魚の姿なのか、それとも目の裏に映し出されている魚の姿なのか。それすらも区別が出来ません。

私は考える事をやめ、ジィッとその魚の姿を見続けることにしました。この魚を見ていると、何故だか私には最初っから記憶というものが無いように思えてきたからです。無いものを探すのはとても馬鹿らしい事。私は頭の中にある全ての事柄をなくし、ただ永遠と魚の姿を目で追いました。魚の住む世界には人や物などと言ったものは無く、動き、感情、形式的な色も無い、全てがその魚で構築された世界でした。そう思うと、私の記憶も、そして見物者である私すらも、その世界にはいないように感じました。魚の世界には魚しかいないのだと。


一体、どれくらい時間が経ったのでしょうか。私は反射的に目を開けると、先ほどまで見えていた魚の姿が消えてなくなり、変わりに何も無い真っ白な頭の中に、これまた真っ白な天井が入り込んできました。色彩の無かった世界にいた分、真っ白な天井はいつもよりも真っ白に、いつもよりも鮮明に見えました。それこそ、シミ一つない天井に見え、おかげで私の記憶の全てが天井の白で満たされました。私の鼓膜を心臓の音が揺らしています。しばらく心臓の音を聞きながら私は眼を広げ、瞬きもせず、ただただ真っ白な天井を見ていました。すると心臓の音が段々と小さくなっていき、記憶そのものであった真っ白な天井は、奥の方にしまい込まれた思い出や感情といったものが目を覚ますたびに記憶の奥へ奥へと埋もれて、結局残ったのは眼にうつる天井だけとなりました。そして、目に映る天井もすぐに消え、私は先ほどから耳に届く、けたたましい音の正体を両目で捕らえました。鳴り止まない目覚まし時計は、短針を7に向け、長針を9に向けて止まっています。私は右手で目覚ましのボタンを押し、耳障りな音を消すと、しばらくその体勢のまま呆けることにしました。何を考えるわけでもありません。そのままの体勢でいるだけです。

私はふと我に帰り、まだ魚はいるのだろうかと思いました。瞼を閉じて、先ほどまで見ていた色のある光景を暗闇に沈ませていきます。すると沈んだ先から魚の姿が少しづつ現れてきました。魚は昨夜と同じように、ジッと暗闇の奥を見据え微動だにもしません。こちらで言う動くという当たり前の行為が、魚には静止する事にあたるのだと言わんばかりに。その姿を見て、私は何故だか変な気持ちになりました。別に嫌だとかそういうわけでは無かったのですが、言い知れぬ何かが胸の奥から少しづつ広がってくるように感じました。私はこれ以上、魚を見ることもないと思いゆっくりと瞼を上げると、被さっていた布団をたたみ、ベッドから足を降ろして立ち上がりました。気付くと時計の長針は9の数字から11の数字まで針を進めていました。
タバコに火をつけて煙を吸うと、僕は無性に悲しい気分になった。何故悲しいのかはわからないけど、煙草を吸うという事によって、それは悲しみに変化したのだと思う。悲哀の涙を一杯に敷き積めたバスタブの中に、身体をゆっくり沈み込ませていくように、僕の身体へじわじわと染み込んでくるその悲しみは、何もかもを無気力にさせていった。自然と落ちてくる瞼に逆らいもせず、僕は暗闇の中で海の香りを嗅いだ。鼓膜には確かに静寂の音が聞こえる。磯の匂いと交わった煙草の煙を肺から出し、僕は顔を正面に向けて海を見た。空の切れ目で重なりあった太陽と海は凄く綺麗に見えた。こんな光景を見ていると太陽と海が別々で存在している事が勿体無く感じる。この二つは一緒にあるべきだと思うし、もしかしたら、太陽と海は元々一つだったのかもしれない。誰かが二つに分けるほうが便利だと言ってあの境目をナイフとフォークで器用に切り取ったんじゃないだろうか?僕は煙草を口にくわえて右手を空の境目に入れると、太陽と空を分かつように横へ切ってみた。しかし僕が切り取った地平線の向こうには、さきほどと同じようにして重なった太陽と海があるだけだった。そこで僕は気付いた。誰も太陽と空を分ける事なんて出来ないんだと。彼等は自らの意思で重なって、自分の意思で分かれるのだ。人が孤独を感じながら人肌に触れ、一方で人肌を欲しながら孤独に耐えるのと同じだ。僕は煙草をアスファルトで揉み消して、ゆっくりと瞼を閉じた。相変わらず磯の香りが鼻腔をつき、さざなみの音が鼓膜を揺らす。堤防台から足をだし、ぐったりと座りながら感じるこの世界の中、僕は随分と久しく感じる事の出来なかった睡眠に全ての意識を預ける事にした。そして意識が完全に絶たれる瞬間、僕は思った。この暗闇から消え去ったあの魚は、僕の中の何かを持ち去って行き、この大海原へ消えていったんだと。