タバコに火をつけて煙を吸うと、僕は無性に悲しい気分になった。何故悲しいのかはわからないけど、煙草を吸うという事によって、それは悲しみに変化したのだと思う。悲哀の涙を一杯に敷き積めたバスタブの中に、身体をゆっくり沈み込ませていくように、僕の身体へじわじわと染み込んでくるその悲しみは、何もかもを無気力にさせていった。自然と落ちてくる瞼に逆らいもせず、僕は暗闇の中で海の香りを嗅いだ。鼓膜には確かに静寂の音が聞こえる。磯の匂いと交わった煙草の煙を肺から出し、僕は顔を正面に向けて海を見た。空の切れ目で重なりあった太陽と海は凄く綺麗に見えた。こんな光景を見ていると太陽と海が別々で存在している事が勿体無く感じる。この二つは一緒にあるべきだと思うし、もしかしたら、太陽と海は元々一つだったのかもしれない。誰かが二つに分けるほうが便利だと言ってあの境目をナイフとフォークで器用に切り取ったんじゃないだろうか?僕は煙草を口にくわえて右手を空の境目に入れると、太陽と空を分かつように横へ切ってみた。しかし僕が切り取った地平線の向こうには、さきほどと同じようにして重なった太陽と海があるだけだった。そこで僕は気付いた。誰も太陽と空を分ける事なんて出来ないんだと。彼等は自らの意思で重なって、自分の意思で分かれるのだ。人が孤独を感じながら人肌に触れ、一方で人肌を欲しながら孤独に耐えるのと同じだ。僕は煙草をアスファルトで揉み消して、ゆっくりと瞼を閉じた。相変わらず磯の香りが鼻腔をつき、さざなみの音が鼓膜を揺らす。堤防台から足をだし、ぐったりと座りながら感じるこの世界の中、僕は随分と久しく感じる事の出来なかった睡眠に全ての意識を預ける事にした。そして意識が完全に絶たれる瞬間、僕は思った。この暗闇から消え去ったあの魚は、僕の中の何かを持ち去って行き、この大海原へ消えていったんだと。

コメント