私は地面に敷かれた衣服の上をたどたどしく歩きながら、胸元から「へそ」の辺りまである服のボタンを開き皺くちゃのパジャマを脱ぐと、次にこちらも皺だらけのズボンを下ろして足先で適当な場所に放りました。椅子の背もたれにダラしなくかかった紺色の仕事着を、スカート、Yシャツ、ジャケットという順に着ます。ついでに落ちていたストッキングを拾って、部屋の扉を開けてリビングに出ると、小型テレビのボタンを押して洗面所へと足を進めました。通りかかりのソファーの上にストッキングを置きます。TVからは早朝の朝に見合った声色で見たことも無い誰かが決めた運勢を星座ごとに紹介していました。私は洗面台の鏡の前であらぬ方向へ向いている自分の髪を水道の水で濡らしながら、自分の星座が聞こえてくるのを待ちました。別に占いというものを信じているわけではないですが、私にはこれといった生き方というのもありません。占いによる助言を試しながら生きる方が面白いのではと思っているからです。結果的に、そういうことを含め「占いを信じるてる」と言うのかも知れませんが。

今日の蠍座の結果は甲乙付け難い内容でした。恋愛運が他の星座より悪いというくらいで、あとは良くもなく悪くも無いといった感じでした。

TVからは今日の天気の予想が綺麗な声色で淡々と語られており、私は何の気なしにそれらを聞き流しながら、黙々と温かいトーストを齧っては、生温いコーヒーで食道に流すという毎朝恒例の単純作業を繰り返していました。別にコレといった出来事が無い朝に食べるトーストは、幾ら頬張った所で味は無く、コーヒーは根本的な何かを失ってしまったような味しかしません。でも私は味の無いトーストに合うコーヒーは、いつだって何かを欠いているコーヒーに限ると思いました。これが反対に、最高級の豆を正確に量りカッティングミルで挽いて正しい手順を踏み淹れたコーヒーだったとしたら、私は朝食にトーストを食べる事も、ましてコーヒーを飲むこともしないでしょう。私の朝食には、不味いトーストと不味いコーヒーこそが、丁度良いバランスを保つものなのだと思うからです。それこそ、太陽と地球が遠すぎず近すぎずの距離を保つように、トーストとコーヒーの味にもその朝に見合った距離感が必要なんだと思います。いつもと変わりない朝に大層な食事をする事なんて私には必要のない事です。

私はカップの底に一口分だけ残った不味いコーヒーを飲み干し、不味いトーストの乗っていた皿とコーヒーカップを台所に置きました。そして中年男性のニュースキャスターが映ったテレビの時計を見ました。テレビの左上に映る白文字の電子時計には8:20と書かれています。私はテレビの主電源を消し、ソファーに座ってストッキングを穿くと、玄関ドアの隣に置いてある等身大の鏡で自分の服装を確認してから玄関の扉を開きました。家の扉に鍵をかけ、10段ほどの階段を降りると、心地よい日の光が風に乗って私の肌を撫でました。優しい太陽の光に目を瞑り、少しだけその温もりを感じることにしました。すると目の裏で身動きせずに泳いでいる魚が、どこか心地よさそうな顔をしているように見えました。実際には、起きた時と変わり無い表情なのですが、私にはそう感じました。私は目を開けて、仕事場へと向かいました。

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